コスモスの風景

 

 

私のコスモスの思い出話。

恋愛ものではありませんが、おつきあいください。

貧乏学生の東京生活、課題を仕上げるために家路(狭いアパート)を急ぐ

秋の夕暮れ・・・線路沿いにこちらへ歩いてくる

親子連れ(父と娘5歳くらい)に声をかけられた。

父・・「この辺に食堂はありませんか?」

貧乏学生・・「駅の近くにありますよ、たしか」

私は駅の近くでコロッケを買い

温かいうちに食べたいと握りしめていた。

すると

父・・「お金がないから食べにいけないので金をください・・」

一瞬意味が分からない、コロッケを差し出そうともしたけれど

 女の子の顔がちらつく

貧乏学生・・・「は?・・お金ですか?えーあのー・・」

戸惑いながらもごそごそと財布からなけなしの1000円を取り出し

貧学・・・「これでいいですか?」

父・娘・・・「ありがとうございます」

       娘に目をやりながら女の子が

       握りしめていた手のなかでしおれかかったコスモスを

       私に黙って差し出した。

20歳の田舎娘の私には衝撃的な出来事で、東京は色んな人がいるなと

つぶやきながらなかばあっけにとられて、中央線の荻窪駅の線路沿いを

コロッケとコスモスを両手に歩いたという切ない思い出です。

なんで私に声をかけたのか?

コロッケの匂いでひきよせられた?

でもあの1000円で暖かい物でも食べられたならそれでよし!

次の日コップに挿したコスモスは

いつのまにかピンと上を向いてくれていた。

       終わり

というまあ、どうでもいい話ですが、

だまされたんじゃないの?

田舎もんだから声かけやすかったのよ。

女の子は本当に親子?  色々言われましたけど

あの子は空腹でも道ばたに咲いた花がきれいで摘んでうれしかった

そして成り行きでこうなったこの状態での精一杯のお礼だったんだ。

それだけで十分な気がします。

 

 

 

インスタでもアップしましたがとてもきれいな作品ですので

こちらでも。

こんなに立派なコスモスではなかったけれどゆらゆら揺れる

コスモスは夏の終わりを告げて冬が始まる間の小さなメッセンジャーですね。